32年前の秋。ちょうど11月のいまごろの季節のこと。合衆国で無数の女性たちによる反核と反戦をうったえた、ペンタゴンへの抗議行動がおこりました。
32年を経て、原子力災害のあと改めてこの声明を読むと、わたしたちは、なにを大切にしてこなかったのか。なにを軽んじてきたのか...。ふたたび問いかけられているように思えます。
女性たちのペンタゴンアクション声明
フェミニズムの世界は、女性がいつでもどこでも安全であるようなコミュニティである。
そこでは地球と空気が大切にされ、私たちがともに生きている、生きとし生けるものすべてが大切にされる。女性は自由に愛し合う。
すべての人にきちんとした住まい、滋味ある食べ物、生き届いたヘルスケアがある。老人は敬われ、その体験にもとづく知恵が頼りとされる。
子供たちは大人たちから隔離されず、どの子も大人について,知るよろこびをわかちあう。
フェミニズムの世界は、女性がいつでもどこでも安全であるようなコミュニティである。
そこでは地球と空気が大切にされ、私たちがともに生きている、生きとし生けるものすべてが大切にされる。女性は自由に愛し合う。
すべての人にきちんとした住まい、滋味ある食べ物、生き届いたヘルスケアがある。老人は敬われ、その体験にもとづく知恵が頼りとされる。
子供たちは大人たちから隔離されず、どの子も大人について,知るよろこびをわかちあう。
個人差、エスニシティの違い、人種の差異は祝福され、だれもが教え、学ぶことができる。
男の子も、女の子も他人をケアすることの大切さを教えられる。
仕事が遊びから分離されることはなくなり、誰もが創造的存在とみなされる。
戦争の武器や、その他浪費的で破壊的な玩具は姿を消す。
世界中の人々が力をあわせて私たちみんなに恩恵を与えてくれる経済、
惑星を保全する経済を発展させるために働く。
信頼が恐怖にとって代わり、愛が暴力にとって代わる。
恐怖と暴力の憎しみに満ちた時代とは家父長制が達成したものの遺物なのだ。
(メアリー・メラー『境界線を破る』新評論より掲載.)
また、この女性たちによるペンタゴンアクションの記録をよんでいると、アフィニティ(類縁)グループや、直接行動、合意形成の方法論などをめぐって、近年のオルタ・グローバリゼーションで継続されていたいくつかの概念が登場しているのも興味深いです。
それより、もっとも興味をひくのは、女性たちが指編みで、蜘蛛の巣を模し、関連施設などをぐるぐるに包囲してしまうというやや奇妙な行為です。
西海岸サンフランシスコの反核運動の歴史のアーカイブ。
カリフォリニアは草の根の反核・反原発運動が根付き、様々なグループが
3.11以降、原子力災害を自分たちの問題としてひきつけて考え行動しているようです。
気ままに巣をはっているように見えて、じつは環境を熟知した上の、とても繊細でいて、自在な行為に思えます。そんな蜘蛛のありようを模したのかもしれません。
原発事故後、行く先々でいままで出あったことのないような、無数の女の人たちの繊細この上ないのに、自在な姿、咄嗟の判断や、うごきをたくさん眼にしました。
まわりの反対をおしきって見知らぬ土地へと避難を決めた人、地域で黙々と計測をして行政にはたらきかける人、近所の子供の被曝を心配するおばあさん...いままでの仕事をきっぱりやめてしまった人...。
危機にあって、いままで、遭遇しなかったようなひとの姿にたくさんでくわしました。さらに彼女たちの、忘れがたい言葉、率直で、的確な言葉にたくさん、たくさん出会い、背中をおされてきたような気がします。
そうしたありようにひとたび触れてしまうと、じぶんももやは3.11以前のような、何かかに蓋をしたような生き方、思考、言葉には...ひきもどせなくなる。
今後の状況は測りしれないほどおそろしい。それでも蜘蛛の巣のように目をこらさないとなかなか見えない細い糸で世界が包囲されているようにおもえます。
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