2012年11月2日金曜日

栗原貞子と広島・復興/ニッポン・ピロシマ・あは・あは・あはSadako Kurihara,Poet in Hiroshima

 栗原貞子は広島の詩人。戦前はアナキストとして活動をしていましたが広島にもどり爆心地4キロで被爆。戦後も広島で詩作をつづけます。なかでも1940年代に書かれた、壕のなかで瀕死の状態で、赤ん坊をとりあげる産婆を描いた「生ましめんかな」や、原爆の被害だけでなく日本の加害性に踏み込んだ「ヒロシマというとき」が有名です。ここ数カ月栗原貞子の数編を読み返し、あまりによくしられた二つの詩の間で「空白」のようにされてしまっている、ひとつのとても重要なテーマがあることに気が付きました。

Sadako Kurihara (栗原 貞子, 1913–2005) was an anarchist,poet,feminist who lived in Hiroshima and survived the atomic bombing during World War II.



それはおもに1970年にさしかかるころ、広島の「都市」としての復興の完成時、被爆の体験が「物質的」にも塗りこめられていくことへの「狂気」すれすれの「にっぽん、ピロシマ」「偽装都市」などの一群の詩です。


 ニッポン、ピロシマ        栗原貞子

 ピロシマの市長は
 タキシードの好きな
 年老いた狐である
 白い手袋をはめて
 英語まじりの演説をする
 「ピース」「ピース」

 ピロシマの市長は

 ピロシマの奥座敷に
 動物園を作り
 世界の珍獣をあつめて
 八月六日に開園する

 ご存知、八月六日は
 ヒロシマの市民が、熱線にあぶり殺された日
 七つの川を死体で埋めた日
 破れた皮膚をぶらさげて
 群列となって逃れる途中
 みちばたに倒れて悶死した日。

 ピロシマの市長にとって
 八月六日は盛大なふぐの供養の日である
 皮をはがれた死体を山に積み
 石油をかけて焼いた日である
 安らかに眠れ「ピース」「ピース」
 祭文は電波にのって
 世界中に流される
 最高のおまつりである

 だからこどもたちには
 双こぶらくだや、黒い犀をふるまい
 大人のためには
 生肝を抜きとるために
 東京から目玉をむいた
 怪獣を招いて
 祭壇の前で演出させるのだ

 ニッポン・ピロシマ 
 あは・あは・あは



註)この夏には、佐藤首相が初めて慰霊碑に参拝した。                                               


(1971、8月「広島通信」)

この日、夏にはめずらしく、暴風雨が中国地方をおとずれたそうです。いうまでもなくこの26年前、広島の残留放射線は、枕崎台風によってなかったことにされhttp://blog.acsir.org/?eid=19 そこに都市復興の暴力が糊塗されます。佐藤栄作は非核三原則をかかげつつ秘密裏に将来的な原発を含む核政策について検討していました。

ちなみにこの1971年には福島第一原発1号炉が臨界に達し運転が開始。26年目にして被爆者援護法がやっと国会に上程されるかたわらで、広島湾・似島で大量に埋まっていると囁かれていたヒバクシャの遺骨発掘がはじまっています。ニッポン・ピロシマ・あは・あは・あは。このリフレインの「狂気」が、いまよみがえります。

先月、東京では東京オリンピック以降48年ぶりにIMFと世銀総会が「復興」を旗印にひらかれました。16万人が今も避難中。二度目の冬をむかえようとしているそのただなかで。IMFの勧告によって政府は消費税をひきあげただけでなく、投資を呼び込もうとし東京は都市としての対面をたもとうとしています。その陰で、東京や首都圏の放射能汚染はないことにされていこうとしています。偽装都市・東京 あは・あは・あは。

ニッポン トウキョウ

あは・あは・あは


ニッポン トウキョウ

あは・あは・あは



です。



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