We will inform the situation after 3.11 in Japan to abroad and intoroduce Women's movemen't concerning Nuclear in the world by Japanese&English.
日々に少なくなっていく原発事故関連の報道。それでも海外の反核・反原発にかかわる女性たちから、「とくに子供や女性たちの身体・健康の様子、食物の汚染、生活の様子、また政府の措置などについて、ぜひ知らせてくれ」という声が高まっています。
スリーマイル、チェルブイリを踏まえ、影響がはっきりとでてくるのは数年にわたること、これからであることまた核による被害・被曝もジェンダーによる偏りとして現れることに、みなやさしく心を砕いています。
そこで、主に米国の西海岸と日本から、日本語と英語で、なるべく継続して情報を紹介するくNo Nukes,More Feminismsをはじめることにしました。また海外の反核・反原発の様子の紹介もしてゆきたいと思っています。
日本社会では女性やとくに「母親」の「立場」や「役割」から放射能防御や反原発にかかわることに、「女性」の問題をづっと考えてきたはずの「フェミニズム」はどうも、関心が薄く、ともすると距離をとったり、みそをつけたりします。
しかし、どうなのでしょう?フェミニズムはとある「立場」や「主体」を<正しい>ものかどうか、審判し、査問するために存在してきたのでしょうか?
これまでの自分たちの議論にそぐわない立場・主体・方法について「ちがうもの」と、ふたをするために存在しているのでしょうか?
どの主体が「ただしいか」、どの「立場」が女性が声をあげるに正当な主体なのか...という問いをくりかえしているだけでは不毛ですし、なによりほかになすべきこと協働すべきことがたくさんあります。
「私」がのぞむフェミニズムはそういうものでは、なかった/ないのです。
それより、協働することを通じて互いのありようが、変化する。そうした転成を望む姿勢なのです。
また3.11以降、日本社会の「母親」たち、「女性」たちの動きを、ひろい文脈におきかえてみれば、ちがったものに見えてくると思います。オルタ・グローバリゼーション、第三世界、緊縮財政の福祉削減反対などをみると、「母親」の「立場」からのNOの声や運動はたくさんある。そういう中に配置してみる必要があると思うのです。
(もはや、こんな酷い国家と環境のうちにいきているのですから)。
以下、ことしに入って稼働がもくろまれているインド南部・クダンクラン原発反対を支持するヴァンダナ・シヴァのインタビューを掲載してみました。
ヴァンダナ・シヴァはインドの巨大ダム開発に反対するチプコ運動(村人が木に抱きついて伐採をとめる直接行動)をはじめ、環境問題・グローバリゼーションや遺伝子組み換えなどが、とりわけ女性や子供への打撃となることをずっと警告してきました。原子力発電所についても、しかりです。
http://nuclearfeminisms.wordpress.com/category/koodankulam%e3%82%af%e3%83%80%e3%83%b3%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%a0/
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