2013年3月8日金曜日

ストロンチズム・ストロンチスト!

チェルノブイリ原発事故のあとのドイツで、日常的な放射線防護や計測にとりくむひとびとが、
反原発の運動のなかでも、「ベクレル派」とからかわれ、一段さげすまされていたことはよく知られるようになりました。
 
――「ベクレル派」とは、単に、日常的な場を放射線防護対策を行うというだけでなく、放射能汚染におびえる一般民衆に寄り添いつつ、反原発運動を、エリートに限られない広いものにしていこうとするものであったといえる――

ところで最近、「原爆・原発―核絶対否定の理論と運動」池山重朗(明石書店)という本を読んでみました。1950年代のうまれたての原水爆禁止運動の、人々の躍動感、柔軟さ、大衆的な様子がわかります。

しかし。その中で<ベクレル派>に先立つ歴史を発見しました。というのも核の危険や恐怖を訴える人に対して、おなじ原水爆禁止の運動のひとたちから「ストロンチズム」「ストロンチスト」というレッテルが貼られたということを知りました。はははーん。

――学生運動の間では、核実験に反対する場合、その論拠としてアメリカ帝国主義の犯罪性を第一義に置かずに、“死の灰”による大気汚染を重視する主張を「ストロンチズム」的偏向と呼んだりした。つまり、ストロンチウム90の危険性を説く者は、政治意識の低いものであり、偏向を犯しているという指摘なのである。
 そこでは核の矛盾を事実の理論をくぐって曝き出し、この誰しも否定し得ない論拠によって国民の同意を得るという本来の大衆運動のあり方が、否定されているとも言えよう――(p17)
  

当時、「ストロンチウム」については、アメリカでもWomen Strike for peaceという母親たちの「乳歯保存運動」など大衆的なとりくみもあって、核実験と健康被害について核の危険の実証の道をひらいていきました。


Women Strike for peace

ドイツではその「ベクレル派」のひとびとが現在も科学者と協力して、「テレックス」という雑誌を発刊しつづけています。福島原発に関しても、関心をそそいでいます。

放射線防護雑誌:テレックスによるレポート

放射能から逃げるか、政治か....そういう踏み絵はもうたくさん。
政治体制、社会構造.....悪いものがたくさんあることなんてこの2年でいやというほど知りました。
だけどちらちらすることば。

原発に反対するなら××にも反対しなければ。
被曝対策するなら当然××もしなければ。
核に反対するなら当然、××にも反対しなければ。

はい。はい。わかりました。どれも正しい。
だけど、あなたがたと決定的にちがうのは、原発事故とそのあとの汚染については、
「運動の課題」「正しい方針」や「論ずべき社会問題」のひとつではなくて
まず第一に生きていく、暮らしの上での、「条件」そのものなのです。

だけ「ただおそろしい」「こわい」「まずい」「やばい」という生活の延長線上でうごいているわたしたちを「分析が足りない」「~すべき」とか頭ごなしにいわれるような論調には.....
なんていうか、免疫力が下がる気がします。

そういういみでわたしも、ベクレル派で、ストロンチストです。


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