2014年1月3日金曜日

東京新聞 2014年1月1日 「草の根安全神話」エートスプロジェクト@福島での記事

チェルノブイリ事故後の社会管理システムとして悪名高い、主にフランスの原子力産業が展開したエートスプロジェクト。

1991年にチェルノブイリ法ができて、移住の権利や保障が認められて......と一般的にいわれていますが、一方で、汚染地帯にすむこと、とどまることを「住民の主体的選択」の結果として、倫理的に称揚したプロジェクト。

そのエートスの福島での展開について、おそらくはじめて批判的に切り込んだ記事。
批判すると、「市民が自律的に、主体的にとりくんでいるんだから!」という反論も多く、触れることがむずかしかったのかな?とおもいますが。第一歩。
「国際原子力ロビーの犯罪」(以文社)http://www.ibunsha.co.jp/0314.html
で指摘されているように、このエートス・プロジェクトの問題は、住民たちの放射能に対する不安からのとりくみを、あたかも倫理的であり、美しいものであるかのように、認めてしまうという点。
移住の権利や充当な保障ではなく<被ばくの受忍>を正当化する核惨事後の社会管理システム。

いっそうの戦慄をおぼえるのは、こうした「自己責任」を正当化・美学化する空気に、新自由主義を経由したこの日本は慣れきってしまっていること。

放射能を避ける、怖かるというあたりまえの行為を、「草の根 安全神話」がづーっと迫害しつづけてきたことからもあきらか。
記事をみても当の福島でのプロジェクトは、閑古鳥が鳴いているようだけど、それはあえてこうしたプロジェクトが必要ないほど、日本の空気全体がすでにエートス・プロジェクトなこと。「自発的従属」におあつらえむきな国であること。


東京新聞 2014年1月1日






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