2012年6月22日金曜日

ベクレル派という蔑称 ベクレル派という、ほまれ

かつてチェルノブイリ事故の折、日常生活や地域でおもに母親たちを中心とした「放射能防御」
のうごきがひろまったそうです。そうした動きは、当時反原発派のなかでも、「放射能を怖
がっている」として「ベクレル派」という<蔑称>でよばれたりもしたそうです。

当時ベルリンに在住でチェルノブイリ事故を体験した田代ヤネス和温「チェルノブイリの雲の下で」(1987年・技術と人間社)という本があるそうです。絶版となり入手しづらいのですが、以下の
ブログでくわしく紹介されています。

http://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/08/25/%e3%80%8c%e6%97%a5%e5%b8%b8%e7%9a%84%e3%81%aa%e6%94%be%e5%b0%84%e7%b7%9a%e9%98%b2%e8%ad%b7%e5%af%be%e7%ad%96%e3%81%8b%e3%80%81%e5%8f%8d%e5%8e%9f%e7%99%ba%e3%81%ae%e6%94%bf%e6%b2%bb%e3%81%8b%e3%80%8d/


 この背景には、かつて冷戦が激しかったころ、イギリス政府がうちだした<核戦争を生きぬく>ための民間防衛奨励政策(日常訓練や、核シェルターつくりなど)=Protect for Surviveという政策をもじってイギリスの反核団体 CND=Campain for Nuclear disarmament (あの鳩の足のマークを最初に考案したグループです)が、 Protest for Survive というスローガンで対抗したという出来事も影響しているのかな、とも思います。
核、放射能に対して、Protect =「身を守る」というのは、かえって放射能が防御可能なものであるという幻想を生んでしまう、そうしたProtectではなく、抵抗=Protestしてこそ、核は廃絶できる、という主旨でした。
 けれども...。実際、首都圏からわずか200キロの福島で「事故」がおきてしまった、そんなもとで暮らしていかざるを得ない「わたしたち」にとって、狭い意味での政治的な抗議=Protest だけが唯一の正しい方法であるかのような前提で、「放射能防御」=Surviveの日々の営みや、放射能を恐れる気持ちそのものにふたをしてしまったり、生活の中でのちいさな実践を侮蔑するのは、おおいにまとはずれであると思います。
今、反原発、再稼働反対の声はとうぜんのように高まっていますが、一方で「放射能から身を守る」「気にする」「計測する」「瓦礫の受けいれに反対」などの行為や実践に対しては、そうした「政治的課題」に比して、どうも「冷静さを欠く」「計測してなにになるの?」といったような批判的な声もきかれます。
 でも考えてみれば、これはいまにはじまったことではなく、生活実践と政治、とを切り離して考える傾向をもちがちな、「運動」に、もういちどその区分の再考をせまっている事態なのだと思います。

 そういえば東京都内の高線量地域のあるマンションの高齢の管理人さんが、この一年、それまでより以上に熱心にマンション敷地のそうじをはじめたそうなのです。デッキブラシでごしごしごしごし、草刈機もいつのまにか購入して夏場にはギンギン鳴らしている。。。あまりの熱のいれよう、そして、いささかそのやかましさも気になって、住人がはなしかけてみると

「よく知らないんだけど、草だの、おちばだのどろんこだの、ほうしゃのうがたまって、こどもに危険なんだってきいて、念入りに掃除しなくっちゃって思ってね」という返事がかえってきたのだそうです。

「ふだんはいたずらばーっかで、にくっつらしいけど、みーんないい子たちなのにね。

原発だとかね、むずかしいはなし、わかんないけど、はらがたってねー。

みーんないい子たちなのにね。」

といってデッキブラシで、ごしごしごしごし。

きっと、こういう小さなできごとが、いたるところで起こっているのではないでしょうか。

そんなひとこまの前に、いままでの「尺度」や「価値観」や「枠組み」や「言葉」を、いちどすっきりてばなして、よりこまやかに、こまやかに、ものごとにあたる、自分は何をたべているのか、となりの人はなにをたべているのか、じぶんのみをとりまく土、コンクリート、砂、こどもがどんなふうに遊ぶのか、そうしたことに五感をこらしてみる。

そのことからはじめてみる、ことがだいじなんじゃないかなと思ったりします。

0 件のコメント:

コメントを投稿