2014年10月2日木曜日

<時間の事故> ポール・ヴィリリオ 



帰還政策、中間貯蔵施設、 さまざまなことが、急速にすすんでいく。
どれも刹那的で、短絡的な政策。
今、考えるべきことは、
この<時間の事故>と、どう、抗うか、ということ。




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1986年は彼らにとっては、そして結局われわれみんなにとっても、
<事故の時間>が突如として、<時間の事故>になった。 


実際、当時の大気の流れが汚染された雲を大陸の西方に押しやったとしたら、

歴史の風は、その汚染を未来へ、時間の日没へと押しやったと言える。

そういうわけで、1980年代という過去の十年間は、チェルノブイリの影響の範囲外では

無傷のままだ。

それに対して未来はどうかと言えば、長期間の核照射によって全面的に汚染されているのだ。


「自然(nature)」は今ここでも損なわれているが、この運命の日を境に

「実物大(grandeur-nature)」の未来が、
1986年の放射性核種によってすでに汚染されたのである。 原発の事故がそれゆえにまさしく原罪的事故だとしたらこれが近い将来、 永遠に続くものとならないためには、 その昔、蛮族から城塞都市の周辺を守ったように、すぐにも未来から現在の周辺を守る必要が出てこよう。

ポール・ヴィリリオ 「原罪的事故」『アクシデントと文明』より

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