2013年12月23日月曜日

冬至(とうじ)、太陽 、原子力


「冬至」=とうじがすぎて,この日を境に、だんだん日照がながくなるというふしぎ。
からだの中の何かも、底を打つかんじ。

----もうこれ以上
----暗くならない、
----これからはもう明るくなるばかりだ。

ビートニック、ゲーリー・スナイダーたちと親交のあった、山尾三省さんの詩。
そういえばハキム・ベイは、どこかで、「冬至は、混沌の日、アナーキーの日」だといっていました。

のんきに<自然>のアナーキーをよろこべなくなってから、
三度目の冬をむかえます。

それでも<自然>の暴力は、あなどれなくて、
過酷な冬は、いのちをいやがおうでもふるいにかけます。
日がのびていくのと裏腹に、冬至から節分ぐらいまでがいちばん過酷。

----もうこれ以上
----暗くならない、
----これからはもう明るくなるばかりだ。


だからなおさら三回目の冬ともなると、これまで生きようとしてきた、よく生きたことを
よろこびたい気持ちがわいてきます。


『冬至』 

冬至の日になると
僕たちは 
じつは太陽を頼りとし
太陽のおかげで生きているのだとわからされる

もうこれ以上 
暗くならない
これからはもう明るくなるばかりだ

太陽があれば
僕たちはその下で 
皆で生きたり死んだりすることができる

もうこれ以上暗くならない
これからはもう 
明るくなるばかりだ

一本の椎の木に 
僕は語りかける

椎の木よ
あなたたちと僕たちの 
今日は本当のお祝いの日だね

これ以上暗くはならない 
自然生のものたちの

本当のお祝いの日だね

冬至の日になると毎年
今がどん底で 
どん底がきたから
もう大丈夫なのだと 
わからされる

                   山尾 三省


こどものとき、まだ寒いのに夕方のチャイムがなる時刻が、
だんだん明るくなっていくのがうれしかった。
遊ぶ時間が、だんだんながくなるのがうれしかった。

いまは椎の木にはなしかけるどころか
汚染されていない、椎茸を探すのに、かけずりまわったり、あきらめたりしている。

そうこうしてるうちに、からだの中の何かが、底をつくかんじ。
三度目の冬は、いつになく太陽がかっこいい。
その下で、生きたりできるから。



あのサンチャイルドといかいう、でかぶつのこどもを、なんとか逃がしてあげないと....












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