2013年3月4日月曜日

富山の震災がれきうけいれで母親たち10名が告訴される

富山の水源地に近い小さな立山町。またその周辺地では、「震災瓦礫」のうけいれに反対の声がたかまっていました。その搬入に反対して折の行動が「威力業務妨害」とのことで10名もが富山市から刑事告訴されています。これ自体ひどいことなのですが記事によると150名ちかい〝普通の〟「母親たち」「主婦たち」が反対の声をあげているということ自体すごいことです。逆に、がれきの広域処理の推進者が、何を、だれを、、おそれているかよくわかります。

富山なので、「米騒動の再来」とか「越中女一揆」とよぶ声もあるそうです。
東京新聞2013年2月28日







この件にかぎらず、目をこらしてみれば広くあらゆる分野の放射能防御の活動----食品や学校対応、測定所の運営、避難・保養の権利、支援法(支援法の院内集会は圧倒的に〝女性〟がおおく、毎回〝官僚〟をしどろもどろになるほど問い詰めている様に驚きます)と、列島のありとあらゆるところで、「母親」「主婦」たちが矢面にたってます。(*ここで「母親」「主婦」というときには、そうした役割にある人々みな...女性以外も含むこととします)

じつは女性や母親が牽引力になったチェルノブイリ原発後の空前の「反原発運動」のもりあがりも調べてみると1986年の事故「直後」ではなく、少しのタイムラグがあります....事故2、3年の時を経て「汚染食品」が食卓にあがったことがきっかけで主婦や母親が危機をいだきそれが各地での広範な反原発運動の導火線になっています。ほんのちょっとだけまえなのに、皆にわすれられている〝近〝過去。

いま二度目の、しかも足元で事故を迎えてしまい....おおきなけれど静かな変動がおおこっています。放射能防御にかかわるひとは全力で、しかもある意味、こういうと変ですがとてもポジティヴに事故をおこしてしまったあとの「尻ぬぐい」を、わけなくやってのけています。


事故後の社会とその行く末を冷徹にみきわめること、その上で悪くなることをくいとめようと私的/公的領域問わず手当たりしだいにうごいている。

もっともチェルノブイリの折も、旧来の運動家やフェミニズムはこうした動きを手ばなしで歓迎し、その流れのひとしずくになることに「躊躇」していた感、なきにしもあらず。

スタイルの違いを云々すること、あるいはこの視点が足りない、これも足りない、と、だめだしに血道をあげたり。母性主義という批判....場合によっては、鎮圧の側にまわってしまったということも。

(一方で母親・主婦たちのこの動きに積極的につらなったのはもともとの運動家のなかでは当時九州のもと豆腐屋さん、松下竜一さんたちなど数えるほど。)

そしていま、従来の頭のかたい運動家や、フェミニストの人には、そうしたうごきを無視するのか....はたまた鎮圧する側にまわるのか、ふたたび問われているのだと思います四半世紀、凍結されていた趨勢がふたたびやってきた。そのことをすんなり認められないのは、二重の意味で「否認」をかさねている、こじれてる、としかいいようがない。

さらに彼女たちにしてみれば、放射能防御に関して、ひとつひとつの行為はそんなに特別なことでもなく(特別な「状況」ではあるけれども....)こうしたうごき自体、ケア労働、家庭内の労働の延長線上にあることがよくわかります。

例えば測定ひとつとっても家事労働を想像してみれば主婦は意外としょっちゅう「測っている」。

あかんぼうのミルクの温度と授乳の時間、保育所に預ける前の子供の体温、てんぷらとかとんかつをあげる時の油の温度の差、自分の基礎体温、はては老人の排便排尿の量と時間.....とか。
その黙々とした所作が、決定的な「危険」を未然に、あるいは最小限にくいとめることを、熟知している。


いいかえれば、そうしたこそ領域が「可視化」しているということをみくびってはいけないしもっと畏怖の念を抱かれてよいと思う。っていうかこれまで不可視の「生活」か生きるとか暮らしの部分がせりあがっている領域だからこそ、頭でっかちな人間はことばがない。

ともあれ、この行政による告訴をゆるさないし、富山にむかって応援です。


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