こころなしか、3.11二年目をむかえるにあたり、この2月は昨年よりも数倍、空気がはりつめています。原発事故「後」が本格的にやってきたという気配です。明らかに局面がかわっている。
二年間も被害をなおざりにされた人々のあいだで賠償を求める声が相次いでいます。福島での子供の甲状腺がんの発症も報告されています...。
22日には福島原発告訴団が東京地方検察局を800名ちかいひとびとがあつまって包囲行動。
4万の署名を提出しました。
告訴団の主張については、もっとも的を得て自分のなかでふに落ちるものでした。
原発事故、また事故後の対応に対する いきどおり、かなしさ、くやしさ、
いままでかんじたことがない非妥協性。
22日の様子。しずかな怒りが充満していて、目の奥の涙がつんとします。
http://www.youtube.com/watch?v=oz2Ot35xITs
また翌日の2月23日には新宿で、ふくしま集団疎開裁判などの方の「こどもを守れ」と「避難の権利」を訴えるデモもおこなわれました。事故直後のともすると漠とした「反原発」から、被曝そものへと。。。。ひとつのターニングポイントのように思えます。
(こどもを守れという、あたりまえの疑いの余地のない主張に違和を唱えたり、茶化したりした“あの人”たち...は、いまどう思っているのでしょう。一人残らず誰がいったか、その一字一句を覚えています)
また今日、26日には千葉県9市、しかも放射線管理課の現場の職員が、子ども被災者支援法の支援対象地域に指定するよう復興庁に要請しました。関東もの「高線量地域」も被曝地域であることを否認しきれなくなっています。
http://www.ourplanet-tv.org/
この一カ月いやおうなく被曝そのものまた事故<以後>の世界についてむきあわざるをえなくなっています。
もう、 無駄な議論、悠長な議論の余地、時間はないはず。
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