「ここにいるみなさんに福島の人々はみえていますか?わたしが見えていますか?」
2011年12月2日 参議院 復興特別委員会にて
■上記の宍戸さんの証言を全文かきおこししているブログ
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1191.html
国会という場、おおぜいの人を前にしての「私が見えていますか?」という強烈な反語に思わず耳がとまります。「あなたがた聞こうとしていないでしょう、見ようとしていないでしょう?」と。
その宍戸さんが昨年、ブラジル・リオデジャネイロでの環境会議に参加した折にたちよられたニューヨークで、3.11以降,在米日本人の方々が軸になってはじめられた原発・核問題を考える“Todos Somos Japan”というグループのみなさんと対談されています。以下、最新号にその内容が掲載されました。(日本語訳は下のほうです)。
Takako Shihido,Fukushima Mother Testimony in NYC
■「自主避難とあたらしい抵抗の形 対談:宍戸隆子さん&TODOS SOMOS JAPAN“Voluntary Evacuation:A New Form of Struggle-A conversation with Takako Shishido”
(対談は2012年6月に行われています)
http://www.jfissures.org/2013/01/14/voluntary-evacuation-a-new-form-of-struggle-a-conversation-with-takako-shishido-1/
「自主避難」という「安全神話」に抵抗する選択をし、すみなれた場所を離れ、はからずも「国家」にそむくことになる生き方を選んだことついてつぶさに、明晰に語られています。
私自身、2012年の11月に北海道のとある大学の講演会で宍戸さんとご一緒させていただき、実際におはなしを聞く機会を得ることができました。
その折には、札幌避難者の独自健康診断、甲状腺エコー検査を実現させ(原発事故後の健康調査は、移住先から福島にわざわざ戻らないと健診がうけられない状況だったのです)、避難者のおかあさんむけのお茶会や託児所をひらいたり、さらに普段コミュニケーションがとりづらいお父さんが気軽に集まれるよう団地内でなんとスナックを定期的に開設するなど、じつに活発にコミュニティ建設と避難の権利の確立をめざす一方で、福島に残るひとたちとも切り離されないように(=分断されないように)と奔走していられる様子が印象的でした。
原発事故は多くの離散、さらには人々の分断をも余儀なくしました。その一方で、新たな空間とつながりを切り拓き、もうひとつの生き方、新たな生き方を手探りで模索していく。その重心をひくく構えた、懐の深さをまのあたりにして、それまでどうも頭でっかちに考えていた自分をはずかしいなとも思いました。
また昨年末には、福島県外への避難者の借り上げ住宅の補助の新規受付が、時期尚早にもうちきられてしまいました。自主避難をとめてしまおうとするうごきです。深く抗議をします。
参考
■札幌の東日本大震災支援グループ「むすび場」。北海道は早期から被災者・避難者の受け入れを表明しています。原発事故こども支援法等についてのとりくみも。
http://shien-do.com/musubiba/home/folder37/post-4.html
■北海道の支援グループで紹介された宍戸隆子さんの寄稿。現在はおつれあいも北海道に移られたとのことです。
http://www.npohokkaido.jp/volunavi/modules/monthly/index.php?content_id=318
■たどしこぶしの会 北海道深川市の「多度志」地区で寺院などが中心となり福島、近県の移住、保養をサポートしています。
http://tadoshikobushi.jimdo.com/
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