2013年1月30日水曜日

おばあさんたちの反核・反原子力・Aldermaston Women's Camp


かつて1979年のスリーマイル事故をきっかけにとりわけ女のひとたちのあいだで反核の声がたかまりをみせました。翌年1980年には核兵器・軍事に反対する女のひとたちのペンタゴンを包囲する大きな動きがありました。そのあと燎原のひのごとく冷戦期のヨーロッパに反核運動が広まります。そしてチェルノブイリ翌年ごろから日本では輸入食品の汚染をきっかけにたくさんの主婦たちが騒動をおこします。

以下は1980年のペンタゴンアクションの折の声明だそうです。とてもまっとうです。いまも事故のあと日本でたくさんの女のひとたちや親たち、主婦のひとたちがうごいています。そのうごきに触れると、誰にいわれなくとも、あえて多言を弄さなくても、こういう魂は 必要なときに よみがえってくるのだと思います。

むずかしい理屈はいらない。でもそうそう、まちがわない。

生きる方角にきちんと身体がむいているひとたちは、いろんなことを知っています。


 
イギリス。グリーナムコモン・核巡航ミサイルの配備に反対し20年ちかくにわたり
数千・数万の女のひとたちがつぎからつぎへと、子どもとともに、キャンプにやってきました。

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Pentagon Action Statement ,1980

フェミニズムの世界は、女性がいつでもどこでも安全であるようなコミュニティである。
そこでは地球と空気が大切にされ、私たちがともに生きている、
生きとし生けるものすべてが大切にされる。女性は自由に愛し合う。

すべての人にきちんとした住まい、滋味ある食べ物、生き届いたヘルスケアがある。
老人は敬われ、その体験にもとづく知恵が頼りとされる。

子供たちは大人たちから隔離されず、どの子も大人について知る喜こびをわかちあう。
個人差、エスニシティの違い、人種の差異は祝福され、誰もが教え学ぶことができる。
男の子も、女の子も他人をケアすることの大切さを教えられる。

仕事が遊びから分離されることはなくなり、誰もが創造的存在とみなされる。

戦争の武器や、その他浪費的で破壊的な玩具は姿を消す。

世界中の人々が力をあわせて私たちみんなに恩恵を与えてくれる経済、
惑星を保全する経済を発展させるために働く。

信頼が恐怖にとって代わり、愛が暴力にとって代わる。
恐怖と暴力の憎しみに満ちた時代とは家父長制が達成したものの遺物なのだ。

                         (「境界線を破る」メアリー・メラー:新評論より)

http://www.wloe.org/WLOE-en/background/wpastatem.html


福島で原発事故がおこる直前に、イギリスであった原子力に反対するおばあさんたちの行動。
みんな80年代は子育てをしてた年恰好でしょうか。
                



このイギリスのオルダーマストン核開発機構研究所=AWE(Atomic Weapons Establishment 1954年設立)では、かつて原子力潜水艦なども作られ周辺付近には射能汚染による健康被害もおこっています。

このおばあさんたちによる抗議は,家事と原子力は対局にあるということで、ほうき・はたき・アイロンなど家事の道具をもって、ふつりあいな音楽にのって、おおまじめに変な踊りをしています。

ああ、いいな。おばさん、おばあさん。ただしいな、と思います。
心なしか免疫力もあがる気がします。


先日あったWomen of Fukushimaの上映会で監督のJeffrey Jousanさんと福島の木田節子iさんの対話のまとめ。さいごのひとことがふるっています。木田さんはもとバスガイドさんとのことです。
“Even if you’re pro-nuke or anti-nuke,” Jousan translated for Kida, “you need to be anti-radiation exposure.” 「原子力に賛成、反対だろうと、反-被曝でなければなりません」
http://www.examiner.com/article/women-of-fukushima-the-voice-of-a-movement-japan

2013年1月28日月曜日

放射線医学研究所発表:1歳児甲状腺被ばく30mSv

2013年1月28日、福島民報の記事です。
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「甲状腺被ばく30ミリシーベルト以下 原発時周辺の1歳児、放医研推計」
 
 東京電力福島第一原発事故直後に飛散した放射性ヨウ素による1歳児の甲状腺被ばく量(等価線量)は30ミリシーベルト以下がほとんどだったとする推計結果を放射線医学総合研究所(千葉市)の研究チームがまとめ、東京で27日に開かれた国際シンポジウムで発表した。国際原子力機関(IAEA)が甲状腺被ばくを防ぐため安定ヨウ素剤を飲む目安としている50ミリシーベルトを下回った。
 最も高かったのはいわき、双葉、飯舘の3市町村で30ミリシーベルトで、次いで南相馬、広野、大熊、浪江、葛尾の5市町村が20ミリシーベルト。楢葉、富岡、川俣の3町は10ミリシーベルト、県内の他の地域は10ミリシーベルト未満だった。
 放医研の栗原治・内部被ばく評価室長らのチームは、事故直後に県内で実施した子ども約1000人の甲状腺検査の実測値や9市町村分のホールボディーカウンターによる全身の内部被ばく線量、放射性物質の拡散予測を組み合わせ、各地の1歳児の甲状腺被ばく線量を算出。全体の傾向を把握するための研究で、1歳児の人口の90%の被ばく線量を推計した。
 栗原室長は「住民には安心できる材料だが、各個人の当時の行動までは反映していない。今後さらに精度を上げる必要がある」としている。

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上記記事からでは、いつからいつまでの「期間」の累計なのか、正確にわかりません。30mシーベルト(等価線量で)とは、先頃放送されたNHKの内容と類似の推計です。
おそらくヨウ素131による被ばくを問題化していると推察されます。
また、原子力推進機関の基準50mシーベルトを尺度として「安定ヨウ素剤」服用の必要はなかった、としています。が、はたしてそう結論づけてよいのかどうか。当時の政府の判断を追認するだけの発表にすぎないのではないかという疑問が生じます。

ともかく、ヨウ素131による小児甲状腺ガンは、チェルノブイリの事故結果として唯一IAEAやWHOの間ですらも合意が得られている「健康<被害>」なのですから、より詳細な健康「診断」(情報集積のための調査の対象としてではなく)と、さらに広い地域での「診断」を、と願います。

この発表はのちのち、どのような意味をもつのか。記憶にとどめておきたいです。





2013年1月27日日曜日

検察が勝俣会長を事情聴取:告訴団署名にぜひお力添えを。


1月24日、報道では検察が東京電力元勝俣会長らに事故について任意事情聴取を行ったとありました。昨年6月には福島の人々が、ひきつづいて11月には全国からの13262名もの告発・告訴人の声がよせられたことも大きいと思います。




ただし、この事情聴取が検察の「形式」にすぎないものに終わらぬよう、福島原発告訴団では「厳正、公正な調査を求める」署名をはじめています。国籍・居住地・年齢は問わず主旨に賛同する人であればだれでもできます。

海外からも日本政府、東電を指弾する声はたかまりつつあります。そして事故3年目を迎え、次第に事故は忘れ去られる一方、被災者・被害者の現状は、とりのことされたままです。

★第一次しめきり2月5日:第二次しめきりは3月15日です★ぜひ一筆を!
とても署名しやすくなっています。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2013/01/blog-post_17.html

以下、福島原発告訴団・団長の武藤類子さんの署名へのよびかけのメッセージです。
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福島の状況はますます酷くなるばかりです。
4つの原子炉からは毎時1000万ベクレルの放射性物質が放出されています。
数百年経たなければ、生身の人間が近づくことの出来ない場所が多数存在する中で、おびただしい被曝をしながら作業員が瓦礫の撤去作業を行っています。
そして彼ら作業員の被曝手当の搾取と賃金引き下げ。モニタリングポストの測定値疑惑。情報開示の手続きをしなければ本人に手渡されない甲状腺検査の詳細なデータ。暴露された県民健康管理調査検討委員会の秘密会の存在。ゼネコン会社の利権にまみれ、効果を疑問視される除染。進まない賠償、子どもたちをシンボルにした虚しい復興策。昨年末に鳴り物入りで郡山市で行われた、アジア・アフリカ諸国への原発輸出を目論んでいるであろう『IAEA福島閣僚会議』。そして新しい政府は『原発ゼロ政策の見直し』『安全な原発を作る』と言い出す始末です。

 国策と言うぶ厚い壁に日本に生きる私たちは、生きる尊厳を奪われ続けています。
私たちの悲しみと怒りは消えることはありません。
この事故の原因を究明し巨大事故を起こした企業と政府の責任をただして新しい民主主義の社会を作るために、子どもたちの健康と未来を守るために、この告訴・告発が受け入れられるよう、再度私たちは力を合わせていきましょう。
ご協力をどうか宜しくお願い致します。

――――



「静かに語る福島のいま・武藤類子さん」福島原発告訴団の報道
http://www.youtube.com/watch?v=zChZUYHqxsQ

あらためて。武藤類子さんの本。最小限のことばで、たくさんのことがかたられています。
決してブレずに原則をゆずらないそれでもやわらかな姿勢につらぬかれているな、とおもいます。
そしてあまりに深いまっとうな怒りは、慈しみと裏表だということも気づかされました。


――原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、
つながりつづけていくことが、私たちのちからです―― 




http://www.otsukishoten.co.jp/book/b97138.html


――みんな溢れそうになる涙をこらえて暮してきたのだなとつくづく思います。もしかしたら3.11以前からそうだったのかもしれません。この国の不誠実、誰かを犠牲にした危うい便利さ、あまりにも自然から乖離してしまった人類。生き物としての深いところでみんな傷つき、罪悪感を持ち、どこかえ帰りたいと思っていたのかもしれません――

――赤ちゃんは、未知の世界へのおそれをふるいおとすように大きな声で泣きながら生まれてきます。わたしたちも泣きながらも、新しい世界への最初の呼吸をしなければなりませんね――
     
あとがきより


2013年1月25日金曜日

「空白の初期被ばくー消えたヨウ素131を追う~」録画

先日NHKで放映された番組です。2011年3月の東京電力福島原発事故後に大量に放出された
「ヨウ素131」は、半減期が8日と短いため、のちのち検出されません。

それでもこのヨウ素131はチェルノブイリ事故後の甲状腺異常、甲状腺がんなどへの影響が
みとめられています。

以下先日放映されたNHKの番組では、シュミレーションによっていまとなっては検出されない
ヨウ素がどのように拡散したかをたどっています。懸命のシュミレーションであることはわかります。
↓全編録画版 

空白の初期被ばく ~消えたヨウ素131を追う~ (1) - デイリーモーション動画
空白の初期被ばく ~消えたヨウ素131を追う~(2) - デイリーモーション動画


上記は抜粋版:駿河あたりまでヨウ素131は拡散したとのシュミレーションでした。


しかし、一見しましたが、どうも釈然としないので、くりかえしみるつもりです。
みのがしたかたはぜひ、消えないうちに。



2013年1月23日水曜日

東電へ99億円の賠償請求の米兵の弁護人インタビュー記事 

先日、トモダチ作戦に従事した8名の米兵が東電に賠償請求した件の続報です。
米兵の弁護士カリフォルニア、サンディエゴのポール・C・ガーナー氏が訴訟の経緯について、
くわしくインタビューにこたえています。

ウォールストリートジャーナル:日本語版 1月18日記事より 



http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323284004578249023802135586.html

最初にニュースがあった時には、あまりに請求が多額であり、反原発や反被曝を問題化している人々の中でも「国内の賠償を必要としている人にマイナスとなってしまうのでは?」
「なぜ米軍自体を訴えなかったのか?」という反発の声も聞かれました。
しかし、インタビューの限りでは弁護人は以下のようにも述べています。

(賠償が実現したら)「医療施設を設立し、治療だけでなく、被ばくした人たちがどうやって生産的で実りある生活を送れるかといった教育も行う。日本の人たちも利用できるように、ハワイに立ち上げる。日本国内では十分な補償を受けられないのではないか、と危惧するからだ」

「日本で十分な対応を受けられない人たちのためにも、思い切って立ち向かうことにした」と。

●以下インタビューの重要な点をぬきがきしておきます。

---症状と被ばくとの因果関係を診断したのは、米海軍専属の医師か。

  「違う。米海軍は、当時、被ばく線量は最小限に抑えられていたという見解に終始している。自然光の下で30日間くらい浴びる程度の放射線量だった、と。だが実際は、非常に高かった。4基の原子炉がメルトダウン(炉心溶融)し、放射性物質が飛散した。

 被災地支援に駆け付けた乗組員たちは、ヘリコプターでロナルド・レーガンに戻ると、自分たちの除染作業をしなければならなかった。安定ヨウ素錠を飲み、着替え、体を洗浄した。だが、(有害な物質を体内から排出する解毒治療である)キレート療法は行われなかった。ヨウ素剤も、乗組員全員には行き渡らなかった。2年たたないうちにこれだけの症状が出ているのだから、今後も様子を見続けるべきだというのが、わたしの見解だ。否定論者は、何を以てノーと言うのか理解できない。」

 「診断に当たったのは、非常に高名な米国人の環境毒物学者兼内科医で、(08年)ニュージャージー州の住人がフォード自動車を相手取って起こした(集団訴訟の)クラスアクションにもかかわったことがある。同州の組み立て工場から廃棄された有害化学物質が飲料水に流れ込み、何百人もの住人ががんになったケースだ。」

---本来なら、直接の雇用主である米海軍を訴えるべきだったのでは?

  「彼らも、(東電から)情報を与えられた側だ。現場の放射線量を測定しにいったのではなく、救援活動をしにいったのだ。最初に情報を流したのは、東電である。乗組員らは、米海軍と米政府の言うことを信頼し、自分の身を守ろうとしたわけだが、発信元が、肝心な問題について明らかに情報を隠し、うそをついていたとしたら、部下や自分の身を守ることはできない。

 当初、乗組員は、自給式呼吸器も放射能汚染防護スーツも不要だと教えられていた。ヘリコプターなどの航空機がレーガンに戻り、原告らが洗浄作業に当たったわけだが、問題は、汚染水の海洋投棄により、洗浄に使った海水が放射性物質に汚染されていたことだ。」

 「乗組員の安全を確保すべきなのは米海軍だから、彼らを訴えればいい、とはならない。米法律学の下では、第一義的な加害者が、その不法行為によって生じたすべての損害に責を負うことになる。勝つ自信はある。日本で十分な対応を受けられない人たちのためにも、思い切って立ち向かうことにした。」

                                                   以上

記事によると、日本で賠償を求める人や被災者などとの連携はいまのことろ考えてはいないようですが、「日本が訴えられた」「外国からの訴えを優先したら、国内での賠償がおろそかになるのでは?」と疑心を抱くのではなく、たとえ立場のことなる米兵(また日米関係の非対称性は十分踏まえた上で)だとしても、核による被害者、被曝者なのだという視点も大切に思います。

参考 アトミック・ソルジャーと低線量被ばくについて
http://shinjyukusunabaproject.blogspot.jp/2012/12/8.html

2013年1月21日月曜日

松戸市の公園:放射線量が再び上昇 


「汚染状況調査重点地区」指定の松戸市で除染した公園の線量が再び基準値超えていた上昇していたというニュースです。きわめて高線量の場所で「除染」が無理といわれていましたが、このレベルでもふたたび線量があがることが確認できます。

なお、「汚染状況調査重点地区」とは環境省の定める、大きくいって二つの地域区分によります。

 1.除染特別地区=警戒区域または計画的避難区域

 2.汚染状況調査重点地区=空間線量が0.23μSv毎時を超える箇所

この2.の汚染状況調査重点地区は、東日本の市町村102か所に偏在しています。
うち62かあまりが岩手・宮城・茨城・栃木・群馬・千葉。40か所が福島県内です。

(*平成23年12月19日「放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染廃棄物対策地域、除染特別地域および汚染状況重点調査地域の指定について」参照のこと)
  
 
 もうひとつ。この放射性物質は、2011年3月~4月のフォールアウトによるものだけなのか?ということも疑問に残るところです...

以下、1月15日付けのNHKニュースより。

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●放射線量が上昇 公園を再除染

 放射性物質を取り除く除染を終えた千葉県松戸市の公園で、市が去年11月から改めて放射線量を測定したところ、28の公園で再び国の基準を超えるレベルにまで高くなっていたことが分かりました。市は周辺の放射性物質が雨などによって集まったのが原因とみて、2度目の除染を行っています。松戸市は市内のおよそ9割が国が費用を負担して除染を行う汚染状況重点調査地域に指定され、市はおととし12月から公園で表面の土を取り除くなどの除染をしています。
しかし、除染を終えたおよそ310の公園について、市が去年11月から改めて放射線量を測定したところ、28の公園では再び値が高くなり、地上から50センチの高さで1時間当たり0.23マイクロシーベルトという国の基準を超えていたことが分かりました。
このうち子どもたちが集まる広場や遊具の近くの値が基準を超えていたのは18の公園で、1時間当たり0.41マイクロシーベルトと、基準の2倍近くに上っていた場所もありました。
市は、雨などによって周辺の放射性物質が集まり濃縮したのが原因とみて、2度目の除染を行っています。


 2度目の除染は、ほぼ終わったということですが、市は今後も値が上昇するおそれがあるとして測定を続けることにしています。松戸市公園緑地課の島村宏之課長は、「除染は1度では終わらないことが分かった。今後も放射線量が上がるおそれがあり、定期的な測定と除染をしっかり行っていきたい」と話しています。

●放射線量の上昇“地形が影響か”
 
 松戸市新松戸の住宅街にある公園では、市が去年8月に表面の土を取り除くなどの除染を行った結果、広場や遊歩道、それに木の根元などすべての地点で、放射線量が地上から50センチの高さで1時間当たり0.23マイクロシーベルトという国の基準を下回っていることを確認していました。ところが、除染から3か月後の去年11月に改めて測定したところ、広場にあるブランコの前で、1時間当たり0.37マイクロシーベルトと再び国の基準を超えていることが分かり、市は2度目の除染を行いました。原因について市は、この場所の地形が影響しているとみています。
市によりますと、この場所には大きなくぼみがあり、雨が降ると水たまりが出来やすい場所だったということです。
 このため周囲の放射性物質が雨などで集められ、濃縮したのが原因ではないかとみています。
市では、くぼみに土を入れて平らにし、雨水がたまりにくい地形にする対策を取ったということです。松戸市公園緑地課の島村課長は、「雨水などで低い場所に放射性物質が集められたのが原因とみている。ほかの公園でもこうした場所では今後も上昇するおそれがあるので測定を続けていきたい」と話しています。




http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130115/k10014811671000.html

2013年1月18日金曜日

“<自主避難>というあたらしい抵抗の形” 宍戸隆子さんのおはなし

おととし2011年12月2日なかなか声の聞き届けられにくい「自主避難者」の現状を、参議員にでむき証言された宍戸隆子さん。福島第一原発と第二原発のあいだの富岡町のご出身とのことです。事故当時は原発50キロの伊達市在住。2011年6月にお子さんと共に札幌に移住をきめたそうです。


「ここにいるみなさんに福島の人々はみえていますか?わたしが見えていますか?
2011年12月2日 参議院 復興特別委員会にて


■上記の宍戸さんの証言を全文かきおこししているブログ
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1191.html

国会という場、おおぜいの人を前にしての「私が見えていますか?」という強烈な反語に思わず耳がとまります。「あなたがた聞こうとしていないでしょう、見ようとしていないでしょう?」と。


その宍戸さんが昨年、ブラジル・リオデジャネイロでの環境会議に参加した折にたちよられたニューヨークで、3.11以降,在米日本人の方々が軸になってはじめられた原発・核問題を考える“Todos Somos Japan”というグループのみなさんと対談されています。以下、最新号にその内容が掲載されました。(日本語訳は下のほうです)。


 
 Takako Shihido,Fukushima Mother Testimony in NYC
 


■「自主避難とあたらしい抵抗の形 対談:宍戸隆子さん&TODOS SOMOS JAPAN“Voluntary Evacuation:A New Form of Struggle-A conversation with Takako Shishido”
(対談は2012年6月に行われています)


http://www.jfissures.org/2013/01/14/voluntary-evacuation-a-new-form-of-struggle-a-conversation-with-takako-shishido-1/


「自主避難」という「安全神話」に抵抗する選択をし、すみなれた場所を離れ、はからずも「国家」にそむくことになる生き方を選んだことついてつぶさに、明晰に語られています。

私自身、2012年の11月に北海道のとある大学の講演会で宍戸さんとご一緒させていただき、実際におはなしを聞く機会を得ることができました。

その折には、札幌避難者の独自健康診断、甲状腺エコー検査を実現させ(原発事故後の健康調査は、移住先から福島にわざわざ戻らないと健診がうけられない状況だったのです)、避難者のおかあさんむけのお茶会や託児所をひらいたり、さらに普段コミュニケーションがとりづらいお父さんが気軽に集まれるよう団地内でなんとスナックを定期的に開設するなど、じつに活発にコミュニティ建設と避難の権利の確立をめざす一方で、福島に残るひとたちとも切り離されないように(=分断されないように)と奔走していられる様子が印象的でした。


原発事故は多くの離散、さらには人々の分断をも余儀なくしました。その一方で、新たな空間とつながりを切り拓き、もうひとつの生き方、新たな生き方を手探りで模索していく。その重心をひくく構えた、懐の深さをまのあたりにして、それまでどうも頭でっかちに考えていた自分をはずかしいなとも思いました。


また昨年末には、福島県外への避難者の借り上げ住宅の補助の新規受付が、時期尚早にもうちきられてしまいました。自主避難をとめてしまおうとするうごきです。深く抗議をします。

参考
■札幌の東日本大震災支援グループ「むすび場」。北海道は早期から被災者・避難者の受け入れを表明しています。原発事故こども支援法等についてのとりくみも。
http://shien-do.com/musubiba/home/folder37/post-4.html
■北海道の支援グループで紹介された宍戸隆子さんの寄稿。現在はおつれあいも北海道に移られたとのことです。
http://www.npohokkaido.jp/volunavi/modules/monthly/index.php?content_id=318
■たどしこぶしの会 北海道深川市の「多度志」地区で寺院などが中心となり福島、近県の移住、保養をサポートしています。
http://tadoshikobushi.jimdo.com/