2011年3月の原発事故以来、新宿や周辺の公園の「砂場」の放射線量を自主計測することからはじまりました。これから到来する被曝社会についてまたその根底にある核の問題を広く考えていきます。 Tokyo Sandpit Project - a project to measure and publicize radiation level in playground and sandboxes in Kanto-area, to protect children from internal radiation exposure.
2012年2月28日火曜日
「水俣」と「福島」:アイリーン・美諸子・スミスさんインタビュー
ながらく水俣病に写真家のユージン・スミスさんとかかわってきたアイリーン美緒子
スミスさんが、現在の原子力事故後の政府や企業の対応は、かつて世界初の
<公害病>水俣病に関し政府・企業のとった対応に、酷似していることを指摘する
インタビューが掲載されていました。
アイリーンさんの述べる共通点は以下...
水俣と福島に共通する10の手口
1 誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
2 被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
3 被害者同士を対立させる
4 データを取らない/証拠を残さない
5 ひたすら時間稼ぎをする
6 被害を過小評価するような調査をする
7 被害者を疲弊させ、あきらめさせる
8 認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9 海外に情報を発信しない
10 御用学者を呼び、国際会議を開く
毎日「かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120227dde012040007000c.html
ほんうに1~10までまったく同じです。こうした罪が、組織的で巨大あれば
あるほど組織的かつ巨大な隠蔽も可能になるという、逆説がはらたいています。
あまりに「巨大」で「組織的」であると、反対にそれを問題視することができなく
なっていってしまう力というのが働くのです。
その「恐ろしさ」が半世紀以上たっても、反復されようとしているのです。
その反復こそが、なにより「恐ろしい」。
(もっとも有機水銀による健康被害と、放射性物質による健康被害はその
性質・表出もことなるので留意して検討しなければならないところでもあります。)
また実被害が<健康><病>にかかわると、「差別」を構造的に作り出す。
また被害が<弱いもの><子供>に及ぶと、親/養育者の自己責任化に
転化させられるのです。
アイリーンさんは以下のように語られます。
「今、水俣の裁判闘争の先頭に立つのは50代の方々です。まだ幼い頃に水銀
に汚染された魚を食べた世代です。だから、福島に行くたびに思う。小さな子ど
もたちに将来、『あなたたち大人は何をしていたの?』と問われた時、謝ることし
かできない現実を招きたくないんです」
チェルノブイリ事故時の放射性物質は、現在でもヨーロッパの食品から頻繁に
検出されます。また現在でも、事故による健康被害についても疫学的統計として
表出しつつあるものもあります。
また特に、2の<被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む>
については戦慄します。原子力事故から1年たったいまも、
私たちは日々、「支援のために買って食べる」「食べない」/「気にする」「気にしない」
「受け入れる」「受け入れない」という問いをつきつけられています。
この作られた「問い」が、(濃淡こそあれ←ここには留意しなくてはなりませんが)、
被曝させられた人々へと、なすりつけられることによって(なすりつけられることそれ
自体によって)原子力事故そのものが免責されていく構造をみぬかなければなりません。
(それこそ責任の<拡散>と<希釈>)
アイリーンさんのおはなしから、10年後、20年後、30年後...を見据えて今なにを、
すべきか、また、すべきでないか、なにに同調してはならないか、がよくわかります。
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