ギル・スコット・ヘロンは、いちはやく原発の建つ風景を批判的に描写しながら忘却と無関心を
ひそかに告発する曲を作りました。
“We almost lost Detroit”はなんと訳したらよいのか...じづら通りだと「デトロイトをなくすとこだった」。
「デトロイトもやばかった」とか..のほうがしっくりくるような
それでも、平然か諦念が美徳のように蔓延してしまっている、
この東日本の楽観状態の中で耳を傾けると、この歌詞が“わかって”しまいます。
また、アメリカでは反核はもっぱら“白人中心”の運動とみなされていたそうです。
マイノリティとして格闘すべき優先事項も多々あったことでしょうし。つい先日
ハーレムですごした日系アメリカ人のアクティヴィスト、ユリ・コウチヤマが、1964年に広島・長崎の被爆者
訪米の折、マルコムXにひきあわせた、またその後もアジア系の反核運動をひそかに
模索し尽力していたことも知りました。
そんなことを思うとブラック・ムーブメントとともにあった彼の詞も意味深い。
GIL SCOTT HERON - WE ALMST LOST DETRTOIT 「デトロイトもなくすとこだった」
It stands out on a highway
それは高速道路のわきに
like a Creature from another time.
まるで 異世代のいきもの のように立っている
It inspires the babies’ questions, “What’s that?”
「なに?あれ?」 車のなかで
For their mothers as they ride.
不思議に思ったこどもが 母親にたずねる
But no one stopped to think about the babies or
でも 誰しも車を止めて、こども じぶん
それは高速道路のわきに
like a Creature from another time.
まるで 異世代のいきもの のように立っている
It inspires the babies’ questions, “What’s that?”
「なに?あれ?」 車のなかで
For their mothers as they ride.
不思議に思ったこどもが 母親にたずねる
But no one stopped to think about the babies or
でも 誰しも車を止めて、こども じぶん
how they would survive,
いったい どうやって 生き抜くのかと考えることをしなかった
And we almost lost Detroit this time. いったい どうやって 生き抜くのかと考えることをしなかった
スリーマイル事故は、あっけなく10日で収束宣言。
いまでもひとつの炉は稼働しているそうです。
それにしてもチェルノブイリ事故以上に スリーマイルの被害・影響、政府やIAEAやICRPなど
原子力機関の対応、また現在の周辺の様子についほとんど知られていません。チェルノブイリ
とは別の機制も作用しているのかな?とも邪推します。
今日 海のむこうでは福島事故後からスリーマイル事故を問い直すつどいもあるそうで、報告を待っています。
いまこそ過去も“告発”され“再審”されなければ、
生きていることじたいが、ふにおちない気すらします。
1979・1986・2011....もう、原子力とかなんだとかの詐術につきあわされるのは、終わりにしたいのです。
『スリーマイル島』中尾ハジメ 1981 野草社 webで全文読めるようです。
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