2012年3月29日木曜日

「チェルノブリ被害実態レポート」の翻訳プロジェクトがすすめられています。

先日、福島県立医大が、「この間の精神病院への入院患者の24%は
<放射能に対する被曝恐怖が原因>と発表した」という報道がありました。

◆毎日新聞web2012.3.26より「福島県立医大調査:精神科入院の24%に

被ばく恐怖影響」http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120326k0000m040103000c.html
即座に思い起こしたのはIAEAとWHOによるチェルノブイリ事故の「最終結果報告」について。
事故20年後に原子力関連諸機関と関係国のあいだでまとめられたものです。
以下の文中に要約版が引用されています。

◆「医学のあゆみ23号」「チェルノブイリ事故から甲状腺癌の発症を学ぶ
エビデンス探索20年の歴史を辿る」2009年10.24号・児玉龍彦

http://plusi.info/wp-content/uploads/2011/08/Vol.28.pdf

2枚目に掲載されている「表」。事故20年目のIAEAとWHOの最終的コンセンサス
これが
事故の「公式見解」とされているのです。
(註:まとめは長滝重信氏であることも興味深い
ですが...)
もっぱらこの「直接的死者50名、影響する死者4000名」についてはきわめて過小評価であると
して欧州放射線リスク委員会なども批判しているのですが、それもさることながら、改めておどろく
のはなにより冒頭から「精神的な障害(subclinical)」が事故のひきおこした「最大の健康被害」
とみなされていることです。

さらに「社会、経済の低下による心理的、精神的打撃」が最も深刻な「被害」であると、
ふたたび「心理」「精神」と繰り返されています。

おそらく、今回の福島大での調査もほかの発症や健康障害を低くみつもり、その代りに
「心理的」「精神的」なおちこみとの比較で操作しようとする意図が働いているのではなかろう
かと?と思われます。

もっとも私自身は事故後の心理的・精神的打撃も十分な「被害」に値すると思っています。
であるからこそ、他の健康被害や発症を、低く見積もる為の比較目的の数値にしてはなら
いと考えます。

一方で実はこのIEAEとWHO報告、原子力に対する「人々の不安」「恐怖」がもっとも原子力
稼働にとってのやっかいな撹乱的要因であるということを、実は、はっきり認めてしまっている
とも解釈できます。

ところでこうしたIAEAやWHOの不十分な調査に対して、ロシア国内のグループが詳細な
健康調査を行い2009年に 『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響』
Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment
という一冊にまとめられいるそうです。IAEA,WHOへの「対抗レポート」といえるでしょう。

その翻訳プロジェクトが進行中で近刊予定とのこと。暫定訳も随時WEBで読むことができます。
これから10年後、20年後をむかえるにあたってぜひ念頭におきたいです。

◆「チェルノブイリ被害実態レポート」翻訳プロジェクト。
http://chernobyl25.blogspot.jp/p/blog-page_4027.html


Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment

2012年3月28日水曜日

スリーマイル島事故から33年

きょう3月28日はペンシルバニア州のスリーマイル原発事故から33年目にあたるそうです。
ギル・スコット・ヘロンは、いちはやく原発の建つ風景を批判的に描写しながら忘却と無関心を

ひそかに告発する曲を作りました。

“We almost lost Detroit”はなんと訳したらよいのか...じづら通りだと「デトロイトをなくすとこだった」。
「デトロイトもやばかった」とか..のほうがしっくりくるような

それでも、平然か諦念が美徳のように蔓延してしまっている、
この東日本の楽観状態の中で耳を傾けると、この歌詞が“わかって”しまいます。

また、アメリカでは反核はもっぱら“白人中心”の運動とみなされていたそうです。

マイノリティとして格闘すべき優先事項も多々あったことでしょうし。つい先日
ハーレムですごした日系アメリカ人のアクティヴィスト、ユリ・コウチヤマが、
1964年に広島・長崎の被爆者
訪米の折、マルコムXにひきあわせた、またその後もアジア系の反核運動をひそかに
模索し尽力していたことも知りました。
そんなことを思うとブラック・ムーブメントとともにあった彼の詞も意味深い。

GIL SCOTT HERON - WE ALMST LOST DETRTOIT 「デトロイトもなくすとこだった」



 It stands out on a highway      
   それは高速道路のわきに
 

 like a Creature from another time. 
   まるで 異世代のいきもの のように立っている
 It inspires the babies’ questions, “What’s that?”
   「なに?あれ?」 車のなかで
                            
 For their mothers as they ride.
   不思議に思ったこどもが 母親にたずねる
 But no one stopped to think about the babies or
 
  でも 誰しも車を止めて、こども じぶん
 how they would survive,
  
いったい どうやって 生き抜くのかと考えることをしなかった
 And we almost lost Detroit this time. 

 
 
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 スリーマイル事故は、あっけなく10日で収束宣言。
 いまでもひとつの炉は稼働しているそうです。

 それにしてもチェルノブイリ事故以上に スリーマイルの被害・影響、政府やIAEAやICRPなど
 原子力機関の対応、また現在の周辺の様子についほとんど知られていません。チェルノブイリ
 とは別の機制も作用しているのかな?とも邪推します。 
 
 
 
 
 
 

 
 
 今日 海のむこうでは福島事故後からスリーマイル事故を問い直すつどいもあるそうで、報告を待っています。
 いまこそ
過去も“告発”され“再審”されなければ、
 生きていることじたいが、ふにおちない気すらします。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 1979・1986・2011....もう、原子力とかなんだとかの詐術につきあわされるのは、終わりにしたいのです。 
 
 


『スリーマイル島』中尾ハジメ 1981 野草社 webで全文読めるようです。

2012年3月27日火曜日

インドでのクダンクラン原発の反対運動

昨日の3月26日から北海道の一基をのぞいて日本列島の原発が定期検査などのため
すべてとまっています。
あんなに電力不足だ、節電だといわれたのに電気は足りています。
私たちの暮す原発を前提にした社会が、いかにいんちきだったことか...

(それでも定期検査中には、多くの被曝労働が必要とされ、またすでに拡散してしまった
放射性物質は消え去りはしないのですが....)

と同時に...世界に目をむければ南インドのクダンクラン原発への住民の反対運動の弾圧が激化。
報道によると500名あまりの住民が身柄拘束/逮捕されたそうです。


先日、福島の女性がこのクダンクラン反原発グループの集会に呼ばれたところ、
ビザが発行されず事実上入国拒否をされたというニュースもありました。
インド政府は反対運動の激化を、非常に懸念しているのでしょう。

クダンクラン原発は、よりにもよってチェルノブイリ事故後、威信を失墜したロシアがその

回復のためか、インドと協定を結び技術提携の上、建設されたものです。
80年代後半の建設予定時から、漁民、農民による広範な反対運動が
おこっていたそうです。
(*インドはNPT条約に加盟していません。このあたりの事情はいずれ詳しく調べたいと
ころです。)

そして昨年の福島での事故を受け、反対の声も高まり、この間クダンクランの運転が一時
みあわされていました。
2011年夏から秋以降にかけては、6000名~7000名あまりもの人々が何度もハンガーストライキを決行。
6000名ものハンスト。着のみ着のままのひとたちがこんなにおおぜい。。。


                 2011年夏。福島原発後のプロテスト。この写真を見た時は驚愕しました。
いま、クダンクランの反原発に関わる人々は、“内部被曝”についてとても関心を
もち、熱心に勉強しているそうです...ダンクランの周辺は農村と漁村がひろがり
豊かな食糧庫だそうです。


日本で原発が稼働ゼロ。インドで膨大な人々が反対。
原子力産業は、すっかり、おいつめられているといえます。ただし1986年以後のうごきをみても、
事故後の原子力産業はかならず「巻き返し」をはかりにかかります。

                 2012年3月20日の様子。ハンガーストライキで抗議する女性たち


敵は「危機」にこそ、乗ずるのです...列島中の原発がとまっている今だからこそ、
静かに怒りをたわめたいと、思います



クダンクランの反原発についていくつか
●Kudankulam:Women power VS Nuclear power 
「クダンクラム;女性の力vs原子力」---たくさんの女性らが参加しているようです。
http://www.ndtv.com/article/tamil-nadu/kudankulam-women-power-vs-nuclear-power-189460
●Asian Rural Women's coalition
「アジアの地方女性たちのコアリション」---この運動をサポートし抗議者の逮捕などについて報告しています。http://www.asianruralwomen.net/html/news.htm
 

2012年3月21日水曜日

福島から避難された母子の会ができています。

福島から、関東へと避難された母子の会が結成され,活動をはじめています。
それぞれ昨年から、急変した生活・離散の中で、
時として直面する差別など...
困難や悩み、生活に必要な情報を共有していこうとする姿勢になにより感銘
をうけました。

開設された事務所は、とある方のご好意で提供されたそうです。すばらしい。

武藤類子さんの著書『福島からあなたへ』でも、日常生活のただなかで、
マスクをする/しない、食べる/食べない、長袖を着る/着ないという日々の
こまやかな選択をめぐって、
まず人々のあいだに亀裂がはしり、分断が
広まったと書かれていました。多くの母親や保護者が口をつぐんで互いにはなしあえないつらさ。
首都圏での各人の温度差からしても、福島でのつらさは察してあまりある
ものがあります。そして、つながるべきひとびとがつながれないくやしさ。

知覚不可能な放射能とそれにつけこんだ“安全神話”のなんと根深いことでしょう。


(東京が完璧に安全ともいいきれないし...やや複雑な気持ちもになり
ますが、
緊急の限られた選択の中で、様々な圧力やしがらみなどを断ち切っての
第一歩なにより敬意を払いたいです)

昨日、第二回目のお話し会があったそうですが「私たちは日本を出ます」(!)
エクソダス宣言です。離れて、つながる。
国家や行政、原子力社会、私たちをなめきった姿勢がもたらしてきた、
これまでのくびきを断ち切る....そうしたひとたちが今後もどんどん増えて、
つながっていけるといいなと思います。注視をしてゆきたいです。

・福島 避難母子の会in関東 
★カンパのお願い&振込先ものっています。
・NY国連前のプロテストに
参加したおこさんたち(OCCUPY!)の様子も..。
http://hinanboshi.blog.fc2.com/

2012年3月19日月曜日

海外からみた日本の“がれき広域処理”・3/26環境省交渉

がれきの処理について。「被災者/地を助ける」「復興のために」と喧伝されていますが
海外からはこんな風にうけとめられています。
そもそも、IAEAの国際基準でも放射性物質については拡散させないことが原則であり
100Bq/1Kg以上は低レベル放射性廃棄物として、管理されることになっています。

がれきの汚染度の検査体制も不十分ですし、主にダイオキシンなどの化学物質除去を
主眼としている既存のバグフィルターでセシウムが除去されるのか、それこそ
「科学的」な実証もないままです。

こんなことが「前例」となっては、原発を有する諸外国としてもたまらないことでしょう。
IAEAはもとより原子力推進側の
ための機関ですが、その基準すらお構いなし、
聴く耳もたずで暴走する“日本政府”...



以下、神奈川をがれきから守る会より
★3月31日〆切りの署名のお願いです。
http://blog.livedoor.jp/kanagawamamoru/archives/4245617.html
★3月26日には環境省との交渉も予定されています。

311 First Anniversary 2012 NYC No Nukes Action

福島原発事故から一年。
ニューヨークでも行動があり、予想以上に多くの人があつまりました。

「私たちはみな、放射能のおそれを抱かされた“妊婦”だ」というユニークな
主張。

ユニオンスクェアから、セントラルパークまでブラスバンドにあわせて行進。
マンハッタンのほんのわずかな距離に老朽化したインディアン・ポイント原発
もあり、閉鎖を求めて活動している“Shut Down Indian Point”のひとたち
や、エプロン姿のおばあさんたちのコーラス隊も登場しています。

事故がおこってしまった足元、日本のことを考えるとずどんとおちこみますが、
おおらかにプロテストの様子には、はげまされます。
http://www.youtube.com/watch?v=K8I2kvartK8&feature=youtu.be