去年のいまごろちょうど東京電力前に、農民連のひとたちの補償要求と抗議行動があり、「牛もやってくる」ということで、いささか調子にのってかけつけていました。
それから一年。その時点ではきちんと予想できていなかったことがつぎつぎおこりわたしたちを日々悩ませまたわたしたちをさまざまに分断しています。
瓦礫の広域処理、あちこちから発見される食品汚染、すすまないこどもたちの給食対策、移動や避難の困難.....この一年におこったことは、まだまだ「序章」にすぎないのだなと、震えとともに、身がひきしまります。以下は、チェルノブイリ事故から20年目の2006年に、ウクライナ、ドイツ、などの女性たちがエコロジーとフェミニズムの視点から発行した小冊子です。とても興味深い内容です。
"20 Years Chernobyl: Women Active Against Nuclear Energy -- from rage to visions"
「チェルノブイリから20年:原子力エネルギーに抗する女性たちの行動 怒りからビジョンへ」(PDFで全文掲載)
エコロジーとフェミニズムについてのネットワーク <Women and Life on Earth>
とても美しいうえに、反軍事・反基地/反グローバリゼーション/遺伝子組み換え作物などの情報もたくさんです。
とても美しいうえに、反軍事・反基地/反グローバリゼーション/遺伝子組み換え作物などの情報もたくさんです。
チェルノブイリ事故がきっかけで過去の記憶がよびさまされ1950年代の「ウラルの核惨事」により家族を健康被害でなくしたおばあさんが政府を訴えたこと、ドイツの小さな村で核廃棄物輸送反対にかかわるゴア・レーベンからの声、また、チェルノブイリ事故後に発足した女性をとりこもうとする戦略をもつ原子力産業側の団体、Women in Nuclear (日本にもあるのです...)など、20年間の経験と様子が伝わってきます。2006年頃は「温暖化の防止」に「クリーンエネルギー」としての原発が、しきりとアピールされだした頃でもあり、彼女たちの声の重要さに、いまさらながら気づかされます。
ウクライナでは、若い母親たちがあつまり子供の健康被害のケアための活動をねばり強く20年もつづけてきました。チェルノブイリAIDSとよばれる免疫不全がこどもを苛んだそうです。このグループは、数年後のソビエト崩壊にともなうウクライナの民主化で、共産政権のおすみつき以外では、初の市民グル―プとなったそうです。
ウクライナで当時若い母親たちがはじめ、いまでも活動する「MAMA-86」
ロシア語のサイトですが一部、英語のページもあります。
http://www.mama-86.org.ua/
日本でもチェルノブイリ事故の翌年あたりから、輸入食品の汚染をきっかけに、女性や母親を中心とした「反原発ニューゥエーブ」が燎原の火のごとく広まりました。
どこかですっかり忘却していたのですが、いま、その声は確実に回帰しています。
母と子供の避難、疎開、放射能防御や給食、計測など、みな懸命で、しゃかりきで、
でもどこかしら、じたばたしていて、でも力をふりかざす、ぼんくらには情け容赦なく敵対し、冷徹。
そうした姿をわたしは、ただ、美しいしなと思うのです。
ウクライナやヨーロッパの20年の経験をよみながら、
「<脱/反原発>のあとにやってくる世界は、女の人や、母親の声がきちんとききとどけられる世界、
ひびきわたる世界であるかもしれない」 ......。「そうだといいな」と改めて思いました。
そして10年、20年、いやもっと、30年と、、、おおらかな時間の尺度と、抵抗の尺度を手に入れたいな、とも。