2013年10月22日火曜日

原子力と女 バーバラ・ジャッジという妖怪 その2(備忘)

東京電力の原子力改革監視委員会のバーバラ・ジャッジが本心を語りだした。一見聞こえがいいようにとられかねないが、そもそも彼女が何の権限でこんな構想を語るのか。「海外の声」「女性」の視点もとりいれた、あたかも<中立的な第三者の専門家>を装う彼女に、こうした構想について口火を切らせるということ自体、彼女の自負する「リスク・コミュニュケーション」の手法なのだろうか。
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2013.10.12 21:27(産経News)

 東京電力の原子力部門の改革をチェックする第三者委員会「原子力改革監視委員会」のバーバラ・ジャッジ副委員長(英原子力公社名誉会長)は12日、産経新聞のインタビューに応じ、福島第1原発の廃炉処理に言及し、「『廃炉』事業を本体から分割し、東電は発送電事業に専念すべきだ」との考えを示した。東電の関係者が、廃炉事業を切り離す構想を明らかにするのは初めて。
 ジャッジ氏は「日本の電力会社は、原発廃炉の知見・経験に乏しい」と指摘。東電は原発事故に伴う損害賠償や汚染水漏れへの対応に人員を集中させており、「長期間かかる廃炉作業にさらに人員を割くべきではない」と主張した。
 他の電力会社も将来的には老朽化原発の廃炉に直面する。ジャッジ氏は「英国のように、政府出資の新会社が国内原発の廃炉を一手に引き受ける案も検討すべきだ」と持論を展開した。
 さらに「小資源国の日本では、原子力発電は必要」と強調。東電改革の進捗について「私のような外国人女性を第三者委員会のメンバーに迎え、『効率最重視』から『安全最重視』へ転換し始めた」と評価し、同社を破綻させるべきではないとの考えを示した。
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バーバラ・ジャッジは<私のような外国人女性を第三者委員会のメンバーに迎え>ている点に触れて、東電改革の進展、安全重視に転換しているといっているが、真っ赤な嘘どころか、原子力産業のこれまでのやり口を強化反復している。スリーマイル島の事故を受けて高まった反原発とそこにかかわる女性たちに関するリン・ネルソンの文章では、当初から原子力産業は女性を主要な「受益者」としてキャンペーンを行った。その背景には

------「女性を特に原子力に消極的な集団とみなし、知識がなく、技術的なことに恐れを抱き、<便利なもの>は欲しがるくせに、その提供者には感謝の念を示さず、放射能の影響や事故がおよぼす健康への影響を過度に恐れ、あらゆる核の問題に対して非合理的なストレス反応を示す。その“強情“さに対抗するためにある世論コンサルタントは、次のようなアドバイスをした。
<女には女をつかえ>」-----


 「すべてを彼女に約束せよ:原子力産業と女性に対する計画」リン・ネルソン
 “Promise her everything:The Nuclear Power Industry's Agenda for Women:Lin Nelson,1984”

という、女性たちへの侮蔑の念が共有されていることを指摘している。一瞥して、女性への偏見一般が焼きまわしで使われていることに気付く。(『女には女を使え:原発産業のジェンダー戦略』「核と向き合う女たち」2011年9月号の引用)

バーバラ・ジャッジの原子力改革監視委員会への就任とそこでの活動もこの使い古された戦略の反復がうかがえる。なんせ彼女自体が、原子力自体の何の「専門家」でもない。金融側面から廃炉コストのそろばんをはじいているだけだ。

それがあたかも権威ある発言のように粉飾され、さらに「廃炉の安定化」を願う人心に訴えてしまうような物言い。が、注意しなくては。2005年に英国原子力公社が「廃炉部門」を民営化し、原子力自体は保持したことをここで反復しようとしている。原発存続前提で、廃炉部門の民営化と東京電力「外」の原子力産業の参入を企図していることがうかがえる。

また別のニュースでは、IAEAが2012年の原子力安全閣僚会議で締結された覚書をもとに、福島県で除染の過程で出る、放射性廃棄物の焼却灰からセシウム除去の協同研究に着手する。一方、IAEAと福井県がさらに協定を締結し、原子力部門の人材育成等に着手するということになっている。

まるで事故を、待ち受けていたかのような迅速さ。今後、先進国の原発は次第に廃炉に向かう。そのことを踏まえての対応なのか。しきりに議論され、時に齟齬をもたらしてきた、放射能汚染食品の安全、がれき焼却うけいれの議論も、こうした全体状況を踏まえない、空疎な机上の「倫理」論では、ほとんど意味を欠く。母親が放射能汚染の対策をになったり、声をあげることの「是否」をただ問うたり、「被災地のへ差別」という一見、倫理的に正しいかのような言い方の前にひるんで思考停止している場合ではない。

もっとも全体状況を踏まえずとも、「放射能は怖い」「被曝は可能なかぎり避けるべし」というシンプルな原理から、汚染食品を避け、がれき焼却に反対している無数の声こそが、真正面からこうした原子力体制を、直感的にきちんと感受している。
未曾有のシビアアクシデントのあとにも、いや、あとだからこそ「利」を得る原子力産業とそのうしろだてになっているIAEAがおそろしい。部分的に使い古された手口で、なおかつ事故でもなお利ざやを得ようとするおぞましい仕組み。一度作ってしまったら、事故だろうと、廃炉だろうと、骨の髄までしゃぶられてしまう。それが原子力。  

そんなもののまえでは、「強情」こそが正しい。「強情」、それでいい。


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