2013年4月9日火曜日

こどもをまもれ、と言えないなら。

こどもをまもるということに確信がもてないとしたら、どんな大義をかかけている運動でも、活動でも、社会でも、もう壊れていくほかないのだなと思う。どんどん「たが」がはずれていく。

こどもをもっているかいないかということとは別に。だれしもが経験する無力にして全能感漂う、生きていたうちのあのいっときの状態をわすれてしまったら。
そして、いま、そういう状態にあるちいさな人たちにまず尊厳を感じられないとしたら
じつはじぶんのことも、守れなくなっている。

民族学校のこどもをいじめにいってみたり、子供を守る行為をするおかあさんたちを、したり顔で批判したりするみっともないおとな、お役所の人、学者さんのなんとおおいこと。

それとは反対に、ひとびとの力強い抵抗は、世界中どこでも、まずこどもをまず守る、という思いにたっていて理由はわからないけど、そこにはつよい確信がある。はげまされる。

1960年後半~1970年代の黒人解放運動のブラックパンサーたちがもっとも力をいれていたのは、ゲットーのこどもたちへの、朝食の給食や、衣類の提供。そして健康診断。(鎌形赤血球性貧血が多発してた)。

 1994年、グローバリゼーションに反対の声をあげたメキシコのサパティスタも、ちいさいこどもたちを念頭においた民話や、書簡をかいている。そのことは何度、おもいだされてもよいはず。

●「避難中のグアダルーペ・テペヤックのこどもたちに」

 すべてのサパティスタ共同体のこどもたちは、戦争のなかで育ち、青年や大人へと成長してきた。しかし、考えれることとは違い、この人々から受け取る教えは憎悪や復讐ではない。ましてや、絶望や悲哀でもない。そうではない。メヒコ南東部の山中で、「希望」が皆と一緒に口に出す言葉であることを学びながら、こどもたちは成長する。

そして、尊厳と他者に対する尊敬をもって生きることを身につける。おそらく、これらのこどもたちと他の場所のこどもたちの違いは、前者が小さなときから明日を見ることを学んでいることだろう。
数多くのこどもがメヒコ南東部の山中で誕生している。彼らはサパティスタになるだろう。だが、彼らは守護天使を手にすることはないだろう。

われわれ「気の毒な悪魔たち」は、こどもたちが大きく成長するまで、見守っていかねばならない。
 
                         
                  -忘却に対する戦争から7年目、2001年の
         サパティスタのこどもたち-

そしてなにより、サパティスタの女性たちが、まず口火をきったことば。 

「わたしたちは闘いに信念をもっています。だから死ぬのを恐れません。こどもたちが破傷風で死んでいくのをみる方がつらい。だからわたしたちは決意したのです」


                           『メキシコ先住民女性たちの夜明け』より 
                           http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/1764






















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